今年2025年、「JAZZ&somethin’else喫茶・映画館」は、夏には45年目に入ります。これほど永く店を続けてこられるとは、開店時には考えもしなかったことです。
そんな新しい年の初めにこの連載原稿が遅れてしまったのは、店をこの後どうするかを真剣に考え、また、自分自身の年齢を重ねると、残された時間は少ないと感じられたからです。
現時点での店の存在を見つめ直すと、「JAZZ&somethin’else喫茶・映画館」という名称に繰り込まれている、3つの大きな柱があります。それらは、人々との出会いから大きな影響をいただき、方向性として定まって来たものと考えています。
店を成り立たせている3つの柱
1つ目は「喫茶・映画館」です。
この名前で店を始めたとき、店内のほぼ中央に16ミリの映写機を固定し、その前面には天井から下げるロール型のスクリーンを据え付け、常時映画上映の可能な環境を作りました。また、すべての壁面に私の好きな映画のポスターを貼り、書架を作って映画関連の図書を備え、図書館のように読むことができるようにしました。偏った範囲ですが、最新の映画情報も得られるよう、映画館から送られてきたチラシを配布しました。
内装のレイアウトも自分の所有物を持ち寄って行いましたので、古い電電公社マーク入りの黒電話や昭和時代のNCRのレジスター、ねじまき式の柱時計数種が並ぶという光景でした。若い方に言わせると、昭和レトロということになるのかも知れません。
そのようなことがあってか、当店をロケ地に選んで撮影された映画やテレビドラマもあります。例えば、映画では井筒和幸監督の『パッチギ! LOVE&PEACE』。テレビドラマでは松山ケンイチ、黒木メイサ主演の『オリンピックの身代金』。最近の作品では、館ひろし、神田正輝のダブル主演による『クロスロード』全6話の舞台になりました。この撮影のとき、館さんがスタッフに「この店は社長も来ているので粗相のないように」と言われたことは、私にとって良き思い出です。
そんなこんながあって、「喫茶・映画館」という名前の持つ意味が明確になり、映画情報誌『名画座かんぺ』発行人ののむみちさんと知り合って『ミニシアターかんぺ』の石田・三木ご両人をご紹介いただき、結果、両誌を毎月配布するようになって10年以上になります。
新聞配達をしながら東洋大へ進学し、卒業を間近に控えた男子学生から、当店のトイレの中、天井と床を除くすべての壁面に写真を貼りつめた「写真展」を10日ほどやりたいとの申し出があったのも、「喫茶・映画館」の時期です。トイレに限定という発想が面白くてお受けし、開催しました。ちなみに、写真はすべて「豚」を写したもので、今村昌平監督の映画『豚と軍艦』を想起させる写真展となりました。
また、これに触発されてでしょうか、続いてアメリカ人ラッセル・スコット・ピーグラーRussell Scott Peagler氏の写真展を3度にわたって行いました。
1回目は2007年5月の「ラッセル・スコット・ピーグラー写真展」で、夜遅くなってから写真展示の作業をラッセルたちと行っていたところ、母が入院している病院から「今亡くなった」との電話。親の死に目に立ち会えなかったのは残念ですが、その瞬間も仕事をしていたことは親孝行の1つだと自分を納得させています。話はそれますが、母には映画の仕事で私が留守中のときも店を維持してもらいました。いまだに母を大事に思っておられるお客様もおられます。嬉しいことです。
2回目はチベットを撮影した写真展でしたが、金髪碧眼の青年がチベットの僻村へ入り込むとあって、中国の公安警察が彼をピッタリとマーク。そのため、撮影ができなくなったと聞きました。チベットからの出国時、なんとか生き延びた写真たちだとのことでした。
そして3回目はその翌年、「4545」というタイトルで開催。東京の街の風俗をアメリカ人の目線から捉えた作品群が並びました。
JAZZレコード・コレクションの充実とオーディオのレベルアップ
2つ目の柱は「JAZZ喫茶」です。
当店は、はじめから「JAZZ喫茶」を看板にしていた訳ではありません。手持ちのレコードの9割以上がJAZZで、それらJAZZレコードをかけていたというだけのことでした。前にも書きましたが、そこに1984年、神保町の「コンボ」に集まっておられたJAZZレコード収集家のグループが同店の閉店とともに次の店を探しておられ、グループのリーダーである田中氏と棚本氏が当店を視察に来られました。そして、当店が次の拠点として選ばれ、隔週土曜日の集まりが生まれました。それが「映画館グループ」の成り立ちです。
さらには、そのご縁で新たな紹介があり、「映画館グループ」の集まりのない週の土曜日には、大和明氏、岡村融氏、岩味潔氏らHOT Clubのグループがこれまた隔週のサイクルで来られるようになりました。
とりわけ、現役バリバリの収集家が集まる「映画館グループ」が当店を定期の試聴場としてくださったことは店に大きな変化をもたらしました。自分で言うのもおこがましいですが、「ただ単にJAZZをかけていた店」が、レコード収集家の間で一定の評価をいただけるJAZZ喫茶へとランクアップされたのです。
それとともに私自身のレコードの買い方も変化し、小島録音、アケタディスク、自主制作盤、ヨーロッパ・ジャズ等々へと拡大していきました。ヨーロッパ・ジャズの貴重な新譜は、必ず発売前に予約を入れて入手します。それらは、発売が話題に上ると、たちまちのうちに完売となるからです。また、中古盤には新品以上の高値がつき、それも滅多に出ません。こうして当店のコレクションは充実していきました。
これに応えるべくオーディオの質も日々高めており、限られた狭いスペースの中ではありますが、限界まで追求したと自負しています。
高音用の市販のツイーターユニットでは、名機といわれるものであっても高域の力強いエネルギー感に不満を感じ、自作することになりました。素材としてのTAD2002ユニットは振動板が130ミリグラムの超軽量高硬度ベリリウムで、高域は22000Hzまでフラットにのびています。そこで、7N高純度銅線を振動板端子に直付けし、奥行き4cmの木製ホーンを付けました。これにより、高音がきれいに入っているアート・アンサンブル・オブ・シカゴの『ザ・スピリチュアル(The Spiritual)』(Freedom/Black Lion)なども、打楽器を叩き壊わす寸前の音が実にリアルに聴こえます。
微力ながらも社会貢献をめざしてsomethin’else
3つ目の柱は「somethin’else」です。
somethin’elseですから、JAZZにとらわれることなく発想は自由に広がり、いくつもの新しい試みがそこから生まれてきました。
白山下時代からお付き合いのある荒川氏、吉川氏らの自主講座・反核パシフィックセンター東京で展開されている「反核太平洋、公害を逃がすな!」運動を母体に発行されている『月報パシフィカ』『月報公害を逃すな』という情報誌があります。これらを店内で閲覧可能としました。
2011年の東日本大震災は福島原発事故を招き、人間の愚かさに刃を突きつけました。日本政府、そしてこの原発を作った人間でさえも自力では制御できない未曾有の大事故は、いまだに終息の兆しさえ見えません。多くの人が「故郷に帰れない」という現実があります。
この東北震災に対する復興支援活動では、当店の地域では向ヶ丘の寺院が活動拠点の場所となり、宗派を超えて人が集まり、炊き出しを作りそれを運び、それぞれが自分のできることをやりながら協力し合い、そうして人の輪が広がりできあがっていきました。
その1つ、プロジェクトFUKUSHIMA主催の東北を応援しようのスローガンのもと盆踊りの開催や野外コンサートが大々的に企画され、ギタリスト大友良英氏や音楽家、詩人が協賛しました。「未来は私たちの手に」を合言葉に盆踊りの櫓を飾るのぼり旗への協賛金を今でも毎年送っております。盆踊りが終わると、のぼり旗が送られてきます。
8月13〜25日には「チベットからフクシマへ・野田雅也」写真展とトークを開催しました。野田氏は10年以上にわたりチベットから中国の核実験場、ヒマラヤを超えて亡命するチベット難民を撮り続け、福島原発事故では規制線の張られる前の12日から撮影をされています。当日展示された写真は「MOTHERLAND Tibet to Fukushima」と題された冊子にまとめられ、当店で閲覧可能です。
ここで知り合いになった市原みちえ氏は死刑囚・故永山則夫の最後の面会人で、彼の全遺品を管理されて「いのちのギャラリー」を運営されておられる方です。2013年11月9日に相倉久人ジャズトークの特別企画として映画監督・足立正生氏とともに市原みちえ氏をお呼びし、足立監督の『略称・連続射殺魔』上映とトーク・イベントを司会進行・長門竜也、協力・JAZZ MORITATEYERのもと開催しました。
また、当店からは若干の距離がありますが、谷中・根津・千駄木を中心にした芸工展という街中が美術館という展示会にもお誘いを受け、何度か参加しました。このイベントは雑誌『谷中・根津・千駄木』の編集者、梶原理子氏のご尽力によるものです。それに付随して「不忍ブックストリート」という地域だけの地図にも当店を掲載していただいています。こちらに関しては、池の端にある「古書ほうろう」さんのお力添えをいただきました。
2015年には講師・桜井均氏、協力・映像ドキュメント.comにて「戦後日本と憲法を考える」とハードルの高いテーマでのトーク・イベントも行いました。当店制作の小冊子も、当店書架にて閲覧可能です。
「映像ドキュメント.com」桜井氏は、2016年に年齢が「満18歳以上」に引き下げられたのを記念して『18歳のレッスン』全11本を制作。そのうち7本が荒川氏、吉川氏らの自主講座メンバーの全面協力をあおぎ、当店にて撮影されました。ネットに上げられておりますのでご覧いただけます。
また、当店ご常連のT氏が反原労として毎月経産省前で配布されていらっしゃるチラシは第447号を迎え、まもなく500号となります。
イベント開催は多くの人の協力のたまものです。これらの人々との出会いがあり、お互いに影響しあい、そして「JAZZ&somethin’else喫茶・映画館」は当店独自の店の形を作って来たのだと考えます。
つらつらと思うのは、店は店主の考えに共鳴されたお客様によって作られていくということです。様々のご縁が良い方向に向かい当店が44年も続けられたのは、良いお客様に恵まれたのだと感謝しかありません。